495年1日
新年早々「ミダ杯にエントリーされた」という知らせが入る。
今年は忙しくなりそうだと思いつつも、まずは去年同様「龍のツメ」を借りにバハウルグへ。
その後はプルト闘技場へサーカスを見に行く。
今度こそはあのオオスナイムが芸をしてくれるかと思ったが、やっぱり何もしてくれなかった。残念だ。
495年2日
今日は例年のショルグ新年祭、ウルグ仕事始めに加えてミダ杯の開会式にもでなければならない。
とりあえずショルグ新年祭でAリーグ5位に昇格したことを確認したら、まっ先にウルグへ向かって仕事始め。
特に深い理由はないが今年の出店資格はマリウシュさんに与えることにする。
そしていよいよミダ杯の開会式……なのだが、他の選手の姿が見えない。
結局選手の大半は式が始まってからの駆け込みで、中にはミダショルグ長のティモシーさんやアラニス評議長のように自分が紹介される段になってあわててステージに駆け上がってくるような人までいた。
……緊張して損した。
495年3日
今年もいよいよ仕事の季節。
とりあえず通算仕事ポイントを17000台に上げ、さい先のいいスタートをきる。
495年4日
ミダ杯1回戦、コークショルグ長のエドワードさんと戦う。
序盤少々攻め込まれるも、カウンター命岩成剣狙いの作戦が見事に当たり、255対145でKO勝ち。
仕事に続いて試合の方もさい先のよいスタートとなった。
495年5日
新年評議会。
挨拶は相変わらず「ご機嫌いかが?」、教育方針は「まじめに」が次々と可決されたが、最後の服の色のところでミダナァムのチューノラさんは堂々と「変な色」を提案。
しかもこれが5−4で可決され、今年は皆変な色の服で過ごすことに決まってしまった。
……頭が痛くなってきた。
ええ、もちろん賛成しましたよ。私が反対すれば否決だったんですけどね(笑)
495年7日
ミダ杯第2回戦はジマショルグ長のリューベンさんとの試合。
今度は必殺の命岩成剣もうまく決まらず、スタミナが切れたところを攻め込まれて255対211でKO負けしてしまった……残念。
495年9日
通算仕事ポイントが18000を突破。
いつの間にかプルト1の働き者になってしまったようだ。
495年10日
ミダ杯が終了。
優勝したのはミダショルグ長のティモシーさんだそうだ。
ちなみに、3年前のチャンピオンは死去していたようで、ディフェンディングチャンピオンはいなかった。
495年12日
バハウルグ2位で長寿王のレネさんが死去。
これで我がバハウルグはまた貴重な人材をひとり失ってしまった。
495年13日
昨年ミダBリーグの遅刻女王として一躍有名になった(?)ガーネットさんが死去。
495年14日
昨日母親のガーネットさんが死去したことによってサイモンとグラジオラスの二人が孤児になってしまったらしく、親戚筋のピーターさんに引き取られたらしい。
ちなみに、このピーターさんも数日後に死去し、彼の奥さんが一人で育てるはめに。
495年15日
ボーナスを決定するある意味一番大事な定例評議会。
まずリムウルグは例年通り「4分の1」を提案して可決される。
続いて私のバハウルグだが、例年通り「3分の1」と提案するも否決され、どうなることかと思ったが、結局議長が「3分の1でよい」と言ってくれたため例年の額は確保できた。
そして最後のガアチウルグ、ここも今年は「3分の1」と提案。
私が状況を伺っている間に他の評議員の意見は4−4にわかれ、可否は私の意見にゆだねられた。
私としては、バハウルグが最高の賞与を受けられる状況を作るため否決したかったのだが、また議長が「2分の1」などと言い出してはたまらないのでとりあえず3分の1で妥協することにし、賛成の意を表明。
こうして評議会は終了した。
その後は恒例のウルグ祭。
今年もおみくじでは「いい人生運」、姓名判断では「いい名前」と中の上程度の結果となった。
……そして夕方帰宅すると、突然バハラから赤ちゃんができたと言われる。
うまれるのは30日あたりになるとのことだが……本当、今年は最後の最後まで忙しい年になりそうだ。
495年16日
いやはや、大変なことになった。
ミダ杯の次はDD杯にまでエントリーされてしまったらしい。
……とはいえ、慌てても仕方がないので普通に仕事をし、昼からはバハラの応援に行く。
どうやら私と同期の移住者の中では私の次に出世の早いガルスさんとの試合のようだ。
こいつは私が最初に作ったキャラでして、PCとして使った時は異様なまでの素質のなさに涙したものですが、ずいぶん素質が成長するのか、攻撃的な性格が幸いしたのか、ショルグでの出世スピードは早いようです。
序盤はガルスさんのラッシュの前に防戦一方だったが、中盤から反撃に転じ、結局149対134で逆転勝利。
応援したかいがあったと言うものだ。
495年17日
今日は仕事を早めに切り上げてDD杯の開会式へ行く。
……が、選手の数が足りない様な気がする……と思ったら、エドワードさんが来ていなかった。
それでいいのか、コークショルグ長。
495年18日
今日も昼からバハラの試合があったのだが、それをつい度忘れしてしまい、慌てて駆け付けた時にはちょうど試合が終わるところだった。
プレイ再開直後と言うのは、こういうことがよく起きるんですよね……それとも私だけ?
そしてその後はいよいよDD杯第1回戦。
対戦相手はガアチウルグ長にして長寿王、そして剣豪の称号をもつ強敵ベシーさんだ。
召下雷撃とブレイズソードを立て続けに3発ほど喰らってしまうが、こちらもブレイズソードで応戦。
そこから一気にラッシュをかけ、222対128で逆転勝ちした。
495年19日
朝に行われるバハラとキャブさんの試合を見るためジマ闘技場へ。
しかし結果は89対117でキャブさんの勝利。
495年21日
今日は昼からバハラの試合があるので仕事を早めに切り上げて応援に行く。
お互いに格闘の技しか覚えていない様でなかなか攻撃が入らなかったが、バハラが終盤にラッシュをかけて91対92で逆転勝ちした。
495年22日
いよいよ1日2試合というハードスケジュールを消化しなくてはならない日がやってきた。
まずは早朝、いきなり現ミダショルグ長でミダ杯優勝者のティモシーさんとの試合。
格闘技メインのティモシーさんにこっちはブレイズソード主体で挑み、序盤から大技が炸裂する派手な試合になるが、そのせいで後半はお互いにバテバテに。
しかしなんとか120対223で勝利。
すぐにヤーノ市場へ急ぎ、龍の盾をお守り代わりに買ってプルト闘技場へ。
DD杯第2回戦の対戦相手はリューベンさん。
今年のミダ杯でも2回戦で対戦しており、そのときは私の方が敗れている。
しかも彼は今回1回戦でティモシーさんを破ってきており、調子は万全のようだ。
今回も序盤からリューベンさんはお得意のオーラナックルに召下雷撃を混ぜて攻めてくるが、すでにその手は読んでいる。
中盤一気に連続ブレイズソードで巻き返し、そのまま逃げ切って232対214で勝利した。
……勝利したのはいいのだが。
すでに疲労しきった私の持つ龍の盾を狙って野良イムがよってくる……。
この国に移住してきてこれほどイムが憎たらしいと思ったのは初めてだ。
495年23日
そんなこんなでプルト闘技場前でもたもたしていると23日になってしまう。
今日の朝はミダナァムのチューノラさんとの試合があるのに……。
やむを得ず龍の盾を放棄して水をのみ、闘技場へ急ぐ。
そしてなんとか試合前には闘技場へ到着したものの、相手の作戦を読み違えてまともに格闘技の連発を喰らってしまい、結局126対61で惨敗。
495年24日
今日も例によって1日に2試合こなさなければならないらしい。
しかも今度は昼と夜、ほとんど連戦である。
まずは昼、ウルグ長選挙など様々な場面で私のライバルとなっているマリウシュさんとの試合。
この試合は一気に序盤にラッシュを決め、89対189で勝利。
そして水だけ飲んで即プルト闘技場へ。
バグウェルへの挑戦権をかけた試合の相手はタハール・フェンさん、シニア杯とイム争奪戦のタイトルを持つ実力者だ。
DD杯準決勝に相応しい激戦になる……きっと誰もがそう思ったことだろう。
しかし、勝敗は余りにも呆気無く決した。
灼火錬術で一気にラッシュをかけ、頃合を見計らってオーラナックル。再びラッシュに戻り、最後はブレイズソードを決める。
終わってみれば255対0のパーフェクト勝ちであった。
人の代表としてバグウェルと戦う……今年Aリーグに上がったばかりの私が。
今年は大変な年になるとは思っていたが……いやはや、想像していた以上に大変なことになってしまったようだ!
495年25日
いよいよバグウェルとの対決の日が来た。
朝は最大の課題であるスタミナの訓練をし、昼は家で疲労とストレスを回復し、そして夜……いよいよ私の目の前にバグウェルが現れた。
事前の作戦通り、バグウェルに攻撃する隙を与えず小技でラッシュをかける。
終盤にバグウェルの反撃を2発喰らって危うくKOされかかったが、その後も攻撃を続けて255VS212でKO勝ちした。
……そう言えば今日はフィリエルの3歳の誕生日だ。
自分のために買っておいたギブルを1枚あげるが「いらないよ」と突っぱねられたので自分で換金に行く。
3番人気で倍率は7倍強、4枚あったのでそこそこの儲けになった。
495年26日
今日も試合だと思ったがいってみると相手がいなかった。
昼はハーム博物館で「龍の書」の最初の2巻に目を通し、夜はドラゴンドロップを食べて訓練を開始する。
ええ、かなりの無駄です、わかってます。
家族に使われるのが怖かったんですよぉ……(;;)
495年27日
今日は一日中バスの浜と市場を往復してスピードの訓練を行っていた。
社会見学の時に話をしてやれませんでしたね(をぃ)
495年28日
評議会納会。
人口はさらに減ってついに2桁の99人(男49、女50)、子供も13人(うち学生7人)となった。
それでも議長は満場一致で信任。
続く仕事納めでは今年も仕事のメダルをもらった……。
495年29日
ウルグ長選挙。
今年も私、マリウシュさん、ジューリアさんでウルグ長の座を争うこととなったが、結局私が19票、マリウシュさんが2票、ジューリアさんが7票でなんとか今年も当選した。
この日の深夜あたりにDDの訓練効果が切れた。
495年30日
今年の給料は4295プゥ。
まあまあ、といったところか。
バハラが双子の女の子を出産。
先に生まれた方をシルフィー、後から生まれたほうをジニーと名付ける。